森田療法の『日々是好日』を生かして、「強迫性障害」のとらわれから解放された方のお話を紹介させていただきます🌞🌈。
「神経症」「うつ」「HSP」のお悩み克服 精神心理カウンセラーの堀川です🍀🍀🍀。
今回は、『日々是好日』について、森田先生が語られたこと、そして「ご相談者から頂いた体験と感想」について投稿させていただきます。
『日々是好日』
古関先生…すべて世の中のことは相対的である。禅をやるような人はみな求道者である。自分の劣等感に悩んで、暗い方面ばかりを見て、苦しんでいる人である。しかし、我々の生活には、一つ一つのことに必ず善い方面と弱い方面とが相対的になっている。「善悪不離・苦楽共存」とかいうようなものである。
その善いことにのみ目をつけて行けば、その日が好日であり、悪いことばかりに目をつけて、良い方面に眼をつぶれば、日々が悪日であろうかと思います。
森田先生…そんな説明の仕方とは、少し違いはせぬかと、僕は思います。明るい方を見ればよいとか、暗い方を見れば悪いとか、そういう相対的なものではない。つまり自己批判や判断ではない。ただ、「その日その日を生きているという事実」そのものである。良いも悪いもその時々に「なりきる」という絶対的の感じである。
自己本来の面目である。「溺れる者は藁をも摑む」とか、「皿を割って、思わず取り上げて、これをつぎ合わせて見る」とかいう「純な心」そのままであって、藁をつかんだ方が得策とか、皿をつぎ合わすのは、馬鹿げているとか、そんな理屈の入る余地はないのである。正岡子規が、七年間、寝たきりで動くことができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたとかいうのは、これが「日々是好日」ではなかろうかと思うのであります。『森田正馬全集第5巻』
★「強迫性障害」を克服した方からの体験と感想
私は十数年来、強迫性障害に苦しんできました。
日常生活を送っていく上で、心身ともに問題なく健康な人もいれば、心や身体に不具合や障害を持っている人もいます。しかし、どのような立場であれ、生きているという事実は皆同じです。
堀川先生からあるカウンセリングのときに、「森田先生は、正岡子規は肺病と脊椎カリエスという病気で七年間寝たきりでしたが、その間も死ぬる間際まで、なにかと原稿を書くことをやめなかったそうです。病気はとにかく、それはそれとして、力を尽くして働き通しました。これが生きるいうことの真の意味とか意義です。そして子規も命のかぎりを生き尽くして、涅槃すなわち往生をとげたのだと仰っておられます」と聞きました。
~「強迫観念」のとらわれ~
私は酷い強迫神経症に悩んで、集中力がなくなり仕事にも手がつかず、自己嫌悪し、自信も無くし、生活が著しく後退した時期が長く続きました。強い不安と苦痛にとらわれて、人生にやりがいや充実感を全く感じることができず、日々のほとんどの時間、強迫観念に意識が集中し、虚無的に過ごしていました。
職場の上司や同僚と上手に付き合っていこうと努めたり、仕事の面でも成果をあげようと努力しましたが、そう焦れば焦るほど、その思いに比例して、強迫観念が強くなり絶望感も増していきました。
そのころは、自分といったものがなく、積極性もなく、他人の顔色ばかりを気にしていて、日々を精一杯に生き切れていないとの自覚はありましたが、強迫観念が強いことが影響し、世の中は他人中心で動いていると感じていました。
~「事実そのものを見ること」~
その後、堀川先生のカウンセリングを受け続けるうちに、事実そのものを事実として認識して、環境に順応していくことが大切であることを知りました。
そしてまずは、自分の事実、ありのままの姿を見つめて、良いところがあれば、これを認め活かしていこうと考えるようにしました。そして、少しでも成果が上がれば良いと素直に認め、強迫症状に悩みながらも仕事を自分のできる範囲で頑張り、とにかく前を向くことを考え行動しました。その結果、あれだけ酷かった強迫観念にとらわれなくなりました。
~「日々是好日」~
その日その日をまさしく壮絶に生きた正岡子規の生き方にも感動すると同時に、自分が健康であることに感謝しながら、今後の人生は、日常生活の中で目的と目標を持って、その事実に向けて行動をすることにより、何気ない日常も「日々是好日」で過ごしていきたいと思っています。
今回の投稿は以上となります。
「あなたは決して独りではありません❗❗」
私と一緒に、「神経症」「うつ」「HSP」の悩みや生きづらさを克服しましょう🍀🎵❗
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